ウタカタノセイシュン

実はこのブログ途中まで書いたんだけど全部消えちゃって面倒くさくなって辞めようと思ったんだけど、やっぱ書く。一晩で書いてやるー。

 

まあただの自己満足なんだけど、暇つぶしにでも読んでくれると嬉しいなー。なんて。

 

本題に入りますね。人間って色々な体験や出来事、そしてその時見たもの聞いたこと感じたことを忘れていっちゃう生き物で、それは人間として仕方のないことだと思う。だけど、忘れたくない思い出ってあるじゃん。それをどうやって忘れないようにするのか、その答えはこうやって一つひとつ思い出して形にすることだと私は思うのです。私には忘れたくない人がいる。そんな人物について今回は書くぜ。

 

 

 

 

彼は不思議な奴だった。全ての始まりは今から4年前(くらい)の中2から中3になる冬(あたり)の「ブルーハーツ好きな人たちのLINEグループあるんですが入りませんか」という突然のDM。胡散臭っ!て思ってすぐには返事出さなかったんだけど、プロフィール見たら同い年だし音楽の趣味似てるしDMしてるうちにすごく仲良くなってグループに入ってみた。

そんなわけでLINEグループ入ってみたらメンバーが私含め4人。誘ってくれた彼とグループの発起人の女の子と男の子、みんな同い年だった。のちに結構増えるけどとりあえず初めはこの4人。共通の話題があったからすぐに仲良くなったしみんないい人達で楽しかった。毎日何かしら話してたなあ。彼はグループではあまり話さないタイプだったけどでもやっぱりその中で1番話とか音楽の趣味が合うのは彼だった。

LINEは途絶えたことなんてなかったしどんどん趣味が似ていって、私にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTThe BirthdayHi-standardKen YokoyamaとSIX LOUNGEを教えてくれたのは彼。今では本当に大好きなバンド。彼にはめちゃくちゃ感謝してる。そして私も彼にhotspringや爆弾ジョニーを教えてあげたし好きになってくれた。中3の半ば頃には電話するほどの仲になっていて、初めて電話した日の夜を今でも覚えている。

 

男の子と電話なんかした事ない私は凄く緊張してた。電話がかかってきた時なんて心臓飛び出るかと思ったもん。電話越しにはブルーハーツが流れてて少し緊張が和らいだけど、私が「何話せばいいかわからない…」って言ったら「これは電話じゃなくてラジオだから。俺が好き勝手話して、カナは聞いてくれるだけでいいよ。」って言ってくれて自然と緊張は無くなっていった。ペイハセガワのオールナイトニッポン!とか言ってふざけてたけど、あれは彼なりの気遣いかもしれない。めっちゃブルーハーツ熱唱してるしマジで好き勝手やってて、コイツ、初めて話す人相手にすげえ…って思った。多分電話とかするの慣れてたんだろな。

そのうち、「聴きたい曲ある?」って聞かれて「夕暮れ聴きたい」って言ったら音楽を止めてザ・ブルーハーツの夕暮れをギターで弾き語りしてくれた。ギター上手だし尖ってて荒くてぶっきらぼうな声と歌い方がその頃の私の心にすごくグッときたし、しっくりきた。今でも彼の弾き語りは好きだなあ。

 

彼の弾き語りを聴いていた私は気が付いたら涙を流していて、この日の夜はその頃抱えていた大きな悩みとか色々打ち明けまくった。家族のこと、受験のこと、自分のこと。彼は本当にしっかりと私の話をよく聞いてくれた。彼の良いところはこういうとこ。私の話をちゃんと最後まで聞いてくれて、かつお節みてぇな薄っぺらい同情で片付けたりしないでちゃんと考えてくれてちゃんとした言葉をくれる。私が間違ってるとそれは違うとはっきり言ってくれる。

中3の頃の私の家族の雰囲気は最悪だった。母親は父親が大っ嫌いだから家では一言も話さないし話したとしても敬語。完全なる家庭内別居。その頃は兄のことも母親のことも父親のこともめっちゃ嫌いだった。進路への不安もあったし、とにかく1人になることに必死だった。彼も私と同じ母子家庭で、当時はまだ私の両親は離婚していなかったから、もしかしたら彼の方が色々な痛みを知っていたのかもしれない。だからあんなに冷静に言葉をかけてくれたんだきっと。

とにかく私と環境が似てたからくれる言葉がより現実味があった。

その日の電話が終わってからも、何かトラブルがあったら必ず彼に相談してた。欲しい答えだけじゃなくて、必要な答えもくれるから。

そして彼も私に色々な相談をしてくれて、私も超真剣に相談に乗ったしアドバイスした。そうやって支え合ってきたからこそ今の私がいるのかも。多分コイツがいなかったらあたし本気で死んでたわ、とつくづく思う。 

 

けどある日喧嘩をした。初めてちゃんと彼に怒った。まあ今思えばめっちゃ些細なことなんだけど。それから数ヶ月は一言もLINEしなかったな。少なくとも私は彼ともうLINEする気なかった。私、めんどくせえし意地っ張りなんだよなぁ…。

何ヶ月が経ったある日彼から「ハイスタのレコードゲットした」と画像付きでLINEが来た。その頃には私の怒りもなくなってて、何故LINEしてきたのか聞いた。そしたら「カナとは縁切りたくないから」って言ってくれて、そしてあの時はごめんってお互い謝って仲直りした。本当にこのとき仲直り出来て良かった。

それからお互い高校入ってからも変わらず仲良かった。彼はバンド活動をしてて、よく弾き語りをしてくれた。メリールーなんて何度聴いたかわからない。メリールー聴く度この頃を思い出す。

あと、彼は自分で作詞作曲してて、歌詞が出来たら私に「いい歌詞出来たぜ」ってきったねえ字で見せてくれたし曲ができたらそれを録音して送ってくれた。ライブの動画とか練習の動画とかよく見たなあ。んで私が感想言って…ってそんな毎日。

私の両親が離婚したときも私に腹違いの弟ができたときも私の母親に彼氏が出来たときも辛かったけど、ロックンロールとうたで励ましてくれた。お互い恋人が出来てトラブったり、彼が失恋したり、バンド解散して新しいバンド組んだときも色々相談し合った。その度に彼は私にうたを歌ってくれた。

彼は酒もタバコもクスリも女遊びもやるぶっ飛んだ男だったけど、私の心を救ってくれた良い奴であることに間違いはない。少なくとも私は彼に救われた。

 

ある日の夜、彼が私に「俺らってヒロトマーシーみたいな関係だよな。切っても切れない縁みたいなさ。やっぱり俺らをひきつけてくれたロックってすげえ」って話をしたとき、本当にその通りだと思った。恋人とかそんな儚いものじゃなくて彼とはもっともっと強い友情的なものを感じた。若しくはお互い友情以上の何かを感じていた と思う。

 

彼は「ロックスターになってミッシェルと同じステージに立つのが夢」と語っていた。そのためにバンド活動を頑張ってた。私は、彼は見た目もいいし、ギターボーカルとしての華があるし、なによりめちゃくちゃぶっ飛んでたからいつか絶対売れてほしいなと思っていた。本気で応援してたし、多分コイツは死ぬまでロックやってるんだろうなと思った。

 

 

けど、高3のある日(ほんの数ヶ月前)に電話で、「俺、やっぱり夢、諦める」って言ってきた。私はもちろん反対した。だって本気で彼の音楽が好きだった。だけど、声がマジだったからこれは逃げとかではなくて彼が自分の意志で選んで決めたことなんだと思った。

彼は「俺の父さん元々陸上自衛隊でさ、俺も自衛隊に入ろうと思う。もう契約書も書いた」

「今度は世界を変えるんじゃなくて世界を守るよ」って言ってて、やっぱりコイツはどこまでもカッコイイ奴だなと泣きそうになってしまった。夢を諦めることは辛く切ないけど、同時に新しい夢が生まれた瞬間でもある。

 

 

そして彼は「最後に1曲だけ聴いてほしい曲があるんだけどさ、さっきできた曲で最初にカナに聴いてほしい。歌っていい?」って聞いて、私は「うん、いいよ。」って答えた。

その曲は今まで聴いてきたどの曲たちよりも強くて情熱的なうただった。もう泣いちゃったよ。自然と涙出てきて、止まらないの。その曲聴きながらボロボロ泣いた。彼の夢や大好きだった彼女に失恋したことやなんかそういう苦悩って人間を強くさせるんだなって思った。中学の頃からお互いがお互いの辛さを支え合って成長してきたから余計にこの曲で胸が熱くなった。

 

そして、「また明日も電話できたらしようぜ」って言い残し彼は電話を切った。けど、次の日の夜にはLINEを消してて音信不通になっていた。私は初めはビックリしたけどこういうことをするのはとても彼らしいと思った。彼は卒業したら自衛隊に行くし連絡とることも本当になくなるんだろうけど、どこかで元気で生きてくれればそれでいいなと思った。

きっといつか、音楽がまた私たちを惹き付けてくれるかもしれない。

 

 

 

 

"今は離れて 会えなくとも またどこかで会えますように"

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれた人マジありがとう。長くなっちゃった。けど、それくらい私にとって大きな影響を与えてくれた人物だし簡単には忘れらんない出来事なんだよ。これも全て音楽の力だ。ロックンロールありがとう。そして読んでくれた人ありがとう。